一方的
「じゃあ聞いてみようか?」と申し出たのは、親切心が勿論根底にあったからだ。困っている人に向けて、まぁおこがましいが、手を差し伸べる、そう云うつもりだった。
そしたら「いい、いい、大丈夫だから、」と断られた。遠慮してるのかと思ったし、同席してたもう一人も「そうよ、頼んだら好いのに。アタシならすぐお願いするのになぁ~」と後押しするような発言してるから、どうしたって遠慮してるのかと思うよね。
でも遠慮ではなく、本当に拒絶だった。拒絶と云うと大袈裟だけど、断られた。
っ可愛くねぇ~、と云うのがその時の私の気持ち。素直じゃない。断るのはいいよ、こっちだって無理強いする気はないんだから。でも「いい、本当に大丈夫」と、一貫して頑な過ぎる断り方。差し伸べた手を払い除けた上に、拒絶の言葉を覆い被せて来る感じで、却ってこっちが物凄いド厚かましい申し出をしたかのように思える。向こうは向こうなりに遠慮してるんだろうけど。
で、その後不愉快な気分で一日を過ごした。ハイハイ人の手助けを突っぱねて、独力で何でも出来るのね、じゃこっちもアナタに対して気遣いなど必要ないね。だって独りで大丈夫なんでしょ。
夕食時、家族にグチる。時間も経ったし、落ち着いて状況を説明出来たと思う。話してる内に白けて来た。差し出した手を何故受け取らないのか、と不満に感じる自分こそ傲慢なのでは? 有難く受け入れるのが当然でしょう、と云う気持ちは驕っている。差し出した提案を選択する自由は当然持っているから、結果を受け入れられなかった、と短絡する私は未熟だ。先方の可愛気のなさはさておき。
何を云いたいかと云えば、誰かに話し聞いて貰うことは、筋道が明確化するし、状況を客観的に眺められる。ぐるぐる自分の中だけで渦巻かせておくよりずっと手っ取り早く、マイナス化した感情を立て直すことが出来る、ということだ。相談ほど改まった行動ではないただの愚痴でも、第三者に説明しようとする行為はかなり有効だし、それに対して適切なキャッチボールが出来ればより理想的である。







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